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表現の自由 守り続けていくために

 騒動は収まる気配をみせていない。愛知県で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」である。この中で開催されていた企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった問題だ。

 元従軍慰安婦をモチーフとした「平和の少女像」や、昭和天皇とみられる人物を扱った作品などに電話やメールで抗議が殺到したことが影響した。

 中止は「表現の自由」を侵害する問題をはらんでいる。

 中止に抗議するため、企画展以外に出展していた外国人作家8人が20日から展示をとりやめた。日本ペンクラブ、日本美術会、日本劇作家協会、美術評論家連盟、憲法学者なども声明を出している。

 「政治的圧力で検閲」「社会から表現や言論の自由が失われる」「圧力や脅迫への屈服は表現の自由に対する重大な侵害」。いずれも深刻な危機感を示している。考えなければならないことは多い。

<多様な声の大切さ>

 問題を整理したい。

 まず中止の判断についてだ。実行委員会の会長を務める大村秀章・愛知県知事は、テロの予告や脅迫とも受け取れる内容があったことから、「安全な運営」を優先して中止を決めたとしている。

 表現を暴力でやめさせようとする行為は看過できない。愛知県は「ガソリンを散布して着火する」といった770通のメールについて、威力業務妨害容疑で警察に被害届を提出している。

 企画展はほかの公立美術館などで展示を拒否された作品などを集めた。抗議は想定されていた。作者が作品をみる人に何を訴えて、考えてほしいのか―。十分に説明することが必要だったはずだ。

 芸術監督を務めるジャーナリスト津田大介氏らの準備不足は否めない。結果的に作品のイメージだけが伝えられて言葉の暴力を招き、冷静な論議の妨げになった。企画展の中止は、出品していたほかの作品の表現の場も奪った。

 同様の失敗を繰り返さないために客観的な検証が欠かせない。

 次に政治家の介入だ。河村たかし名古屋市長は慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある。日本の主張とは明らかに違う」などとして展示中止を要求した。菅義偉官房長官は文化庁の補助金交付を慎重に判断する考えを示した。

 政治家が自身の考えに合わない表現を規制すれば自由は失われる。憲法で禁じられている検閲にもつながりかねない。

 税金を負担している国民の中には多様な考えがある。国の主張に賛同する人も批判する人もいる。公金支出の展示会だからこそ、あらゆる意見を反映したものでなければならない。河村市長らの主張や中止要請は容認できない。

<意見交換の意義>

 「表現の自由」の本質を示す有名な言葉がある。

 「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」―。フランスの思想家ヴォルテールのものとして広まっている。

 多様な意見を持つ人々が論議し、少数意見に目を配りながら、より適切な施策をつくりあげていく。これが民主主義である。

 今回は刑法に触れないまでも、展示の中止を強固に求める電話やファクスが大量に寄せられた。このことをどう考えるのか。

 阪口正二郎・一橋大教授は「抗議した人は表現の自由を行使しながら、相手には表現の自由の行使を認めない。こんな不寛容な行為がまかり通れば、自由や民主主義は失われる」と指摘する。

 従軍慰安婦問題や元徴用工訴訟などで悪化する日韓関係の影響を受け、韓国の主張に不愉快さや怒りを感じる人も少なくないだろう。一方で主張を聞き、問題を考えたい人もいる。展示会は、そうした契機にもなったはずだ。

 憲法学者の故奥平康弘さんは著作「なぜ『表現の自由』か」の中で、海外の論文を引用しながら表現の自由の意義を説いている。

 「情報の交換が確保されていることが(個人が)知識を高め真理を発見するのに不可欠である」と。意見交換が抑圧されると「理性的判断がむずかしくなり、不安的になり愚鈍化し、新しい物の考え方が出てこなくなる」と。

 今回の問題を巡っては、芸術祭芸術監督の津田氏が出席して、神戸市で開かれる予定だったシンポジウムが中止された。シンポは企画展とは関係ないのに、津田氏が出席することに対して抗議が相次いだためだ。

 気に入らない表現を圧力で封殺する風潮が広がれば、抗議を受けないことを最優先にした穏当な表現が優先されかねないだろう。

 表現の自由があることが個人を成長させ、互いに議論を深めることで社会を成熟させていく。私たちは「表現の自由」を守り続けなくてはならない。

(8月25日)

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