長野県のニュース

芸術展公認撤回 表現の自由損なう判断だ

 表現の自由をめぐる重大な問題をはらんでいる。オーストリアで開催中の芸術展で、国交150年記念事業の公認を日本政府が取り消したことだ。

 助成はしておらず、展覧会は続いている。“実害”は公式のロゴマークが使えなくなることくらいだという。だからといって見過ごすわけにいかない。展示内容に立ち入って判断し、公認を撤回したのは、意に沿わない表現行為は認めないと宣言したに等しい。

 イタリア人がキュレーター(展示企画者)を務め、現代美術家らおよそ20組が出展した。日本での政治社会批判の自由と限界に焦点を当て、福島の原発事故や安倍政権を批判的な視点で取り上げた作品が含まれている。

 開幕から1カ月ほどした10月下旬、インターネットに「反日プロパガンダだ」といった書き込みが相次ぎ、外務省に抗議や苦情が寄せられた。自民党の議員からも問い合わせがあったという。

 撤回はその直後に外務省が決めた。現地の大使館員が展示を確認し、相互理解と友好促進という趣旨に合わないと総合的に判断したと説明している。

 表現の自由は、個人の人格や尊厳に関わると同時に、民主主義の基盤としてとりわけ尊重されなければならない人権だ。ところが、多様な表現の場を守るべき政府がその役割を果たしていない。「総合的な判断」と言えばもっともらしいが、恣意(しい)的であることと何が違うのか。

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」への補助金の交付を、手続きや運営の不備を理由に取りやめたのと同じ構図が見て取れる。表現活動に対する“からめ手”の介入と見るべきだろう。

 連動するかの動きが国内各地で起きているのも気がかりだ。川崎市が共催する映画祭では、慰安婦問題を扱った映画「主戦場」の上映がいったん中止された。三重県伊勢市の美術展では、あいちトリエンナーレと関連づけた作品の展示を市が拒んだ。

 一連の事態は、自由な表現活動の萎縮や自粛に結びつく恐れがある。言論・表現の自由を狭める動きが、報道や放送への介入にとどまらず、美術や映画にまで及びつつあるようにも見える。

 表現の自由は、侵害されやすいからこそ厳格な保障の手だてが要る。公権力による干渉は検閲に通じる。個人の尊重、国民主権という憲法の根幹が掘り崩されかねない現状に厳しい目を向けていかなくてはならない。

(11月13日)

最近の社説