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あすへのとびら ベルリンの壁崩壊30年 一人一人の平和を考える

 「石の壁という非人間的装置によって人間を永久に閉じ込め、屈服せしめることは結局不可能だという『真理』を東独指導者が見落とした」

 1989年12月26日付の本紙夕刊「今日の視角」で、名古屋大学長を務めた故飯島宗一さん(岡谷市出身)が1カ月半前のベルリンの壁の崩壊をこう論じている。

 この年、ソ連の求心力低下を背景に東欧各国の政権が相次いで倒れた。同じ夕刊はルーマニアの独裁者チャウシェスクの処刑を大きく報じている。

 米ソ首脳がマルタ島で「冷戦の終結」を宣言。抑圧的で非人間的な体制は自壊し、自由と民主主義を尊重する豊かな世界が始まると、誰もが期待した。

 それから30年―。私たちの前にどんな光景が広がっているだろうか。一つの数字を示したい。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の統計だ。2018年末、UNHCRの支援が必要な難民や国内避難民らは7479万人に上った。長野五輪が開かれた98年の実に3・7倍である。

<緒方貞子さんの戦い>

 壁の崩壊から1年余後の91年、新しい難民高等弁務官が着任した。激動期に重責を担ったのは人道支援では無名の学者、緒方貞子さん。当時63歳。弁務官を務めたその後の10年は、冷戦後に訪れた混迷との戦いそのものだった。

 就任間もない緒方さんを待っていたのは、フセイン政権の抑圧を恐れて隣国へ逃れようとしていたイラクのクルド人だ。イランは受け入れたが、トルコは自国の政情不安の懸念から拒否。数十万人もが山岳地帯にとどまっていた。

 現地に着いた緒方さんを悩ませたのは、イラク国内で支援ができるかという点だ。難民は「国境の外に出てきた人」と定義されている。国連が国内避難民を支援した例はない。イラクの国家主権にかかわる問題だった。

 賛否がある中、緒方さんは支援すると決めた。目の前の命を救う、という原則に立ち返り、ルールを変えた。国連の難民支援の幅を一気に広げた瞬間だった。

 続く旧ユーゴ紛争では、国連保護軍の協力で支援物資を空輸し、戦闘地域での支援を長期にわたって維持した。ここでも「命を守りきる」という原則を貫いた。

 怒りをあらわにしたこともある。セルビア人勢力が物資の輸送を妨害し、対立するムスリム勢力も、困窮を訴えて国際社会の注目を集めようと物資の受け取りを拒否した。緒方さんは「人道支援を政治に利用している」と憤り、各勢力が政治と援助活動を切り離して考えるまで活動を中止すると表明して、世界を驚かせた。

 コソボ、ルワンダ、アフガニスタン―。常に現場に立って難民たちに触れ、当事国と交渉し、国際社会の協力を引き出してきた。

 UNHCRは人々の生命を懸命に守っている。だが、人道支援が紛争を止め、政治問題を解決することはない。どうすれば難民をなくせるのだろうか―。

 緒方さんは2000年末に弁務官を退任した後も問い続けた。

<人間の安全保障こそ>

 外敵から国家を守る従来の「国家間の安全保障」では、多発する国内紛争に十分対応できない。緒方さんが期待したのは「人間の安全保障」という考え方だ。

 紛争やテロ、災害などの恐怖、教育や医療などの欠如、貧困から一人一人を解放し、不平等を解消して生活と尊厳を守る。国家より人間を中心に据え、保護と能力向上を追求する概念である。

 03年、ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン氏とともに世界へ発信した。現在も、さまざまな人道支援の現場を支える重要な基盤の一つとなっている。

 ただ、国際政治は逆向きに動いている。シリア内戦へと続く「アラブの春」を機に難民が急増。押し寄せた欧州で排他主義、ポピュリズムが台頭した。米国はメキシコとの間に壁を造り始めた。自国第一主義による新たな壁が民衆を分断している。シリアではクルド人がまたも辛酸をなめている。グローバリズムが格差を広げ、希望を失った者が引き起こす新たなテロの危険も去っていない。

 そうであっても、そうだからこそ、人間の安全保障に希望を見いだすしかない。

 私たちも視点の転換を迫られている。紛争を国同士、民族同士の対立として眺めるのでなく、生身の人間の苦難と受け止めたい。邦人の安否だけでなく、現地の人々に思いをはせたい。同じ人間同士が助け合う行動に加わりたい。

 緒方さんは先月22日に亡くなった。国連や米国務省、政治家らが功績をたたえた。優れた人物の死を悼むことは、その遺志を改めてかみしめることになる。恐怖や欠乏をもたらさぬ政治こそが最大の安全保障だと、思い至る。

(11月17日)

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