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考とともに 憲法と緊急事態 尊厳を譲り渡さぬために

 生活の維持に必要な場合を除き、徹底した外出の自粛をお願いします―。朝夕、窓越しに無線放送が聞こえてくる。人と会って話すことさえ思うに任せない。緊急事態宣言が全国に発せられ、日常が一変した状況の下で迎えた73回目の憲法記念日である。

 新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、より強硬な対策を求める声も出ている。見落とせないのは、行政の権限を強める法改定の動きとも重なって、憲法に緊急事態条項を設ける改憲論が頭をもたげていることだ。

 「緊急時に国家や国民が果たす役割を憲法にどう位置づけるかは極めて重く大切な課題だ」。安倍晋三首相は宣言に際して国会で述べている。自民党内では、改憲論議が滞る状況を打開する糸口にしようとする発言が相次いだ。

 発令された宣言は、感染症対策の特別措置法に基づく。憲法には緊急事態に政府が発動できる権限を定めた条文はない。そもそもそれはなぜなのか。

 戦前の旧憲法は、法律に代わる緊急勅令や軍に統治権を委ねる戒厳、無限定の非常大権を天皇に認めていた。強大なその権限が政府、軍部に乱用され、思想・言論の弾圧や軍国主義につながったことへの反省が根底にある。

 

 非常ということに借りて政府が一存で処置できる途を残せば、どんなに精緻(せいち)な憲法を定めても、破壊される恐れが絶無とは断言しがたい―。現憲法が審議された1946年、衆院での金森徳次郎・国務大臣の答弁だ。

 民主政治を徹底させ、国民の権利を十分擁護するために、あえてこの憲法は、特例をもって行政権が自由判断できる余地を少なくしたのだと述べている。立ち返るべき原点である。

 自民党が2012年にまとめた改憲草案は緊急事態に新たな章を立て、条文を定めた。見えてくるのは、限定なく権力が集中しかねない危うさだ。法律と同等の効果を持つ政令の制定権限を内閣に与える規定は、旧憲法の緊急勅令と比べても歯止めを欠く。

 国会の閉会中に限られていない上、事後に国会の承認を得られない場合にも失効するとは書かれていない。政令の対象になる事柄にも制限はない。政府が実質的に立法権を握り、国会が無力化される恐れがある。

 しかも、緊急事態を認定する要件は緩やかだ。武力攻撃や内乱、大規模な自然災害のほか、法律で定める事態に際して、首相が「特に必要がある」と判断すれば宣言が出せる。政権の思いのままに使われかねない。

 何人(なんぴと)も、国その他公の機関の指示に従わなければならない、と定めた条文もある。国家が国民に服従を強いれば、憲法による人権の保障は意味をなさなくなる。

 18年に党内で取りまとめた改憲4項目でも、自衛隊の明記などと並んで緊急事態条項を置いた。草案と異なり「大規模な災害」に限ったが、抜け穴も見え隠れする。有事法制の国民保護法は、武力攻撃を災害と位置づけている。

 人権保障や三権分立の憲法原則を逸脱した権力の行使を認めることは全体主義への道を敷く。かつてドイツで、ワイマール憲法が定める緊急措置権が、ナチスによる政権掌握の手がかりになったことも踏まえておきたい。

 

 国会議事堂が炎上した事件を国家転覆の陰謀と決めつけたヒトラーは、大統領緊急令で言論、集会、結社の自由を封じ、共産党の議員らを一斉に拘束して徹底的に弾圧した。緊急権の乱用による議会政治の空洞化の果てに、立法権を政府に全面委任する授権法が成立し、独裁体制は確立した。

 戦後日本の出発点となった現憲法の基底にあるのは「法の支配」の考え方だ。<権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理>(芦部信喜著「憲法」)を言う。緊急権限を排したことは、その徹底と見るべきだろう。

 権力は法の支配を求めない。例外規定を設けて縛りを解くことの危うさを歴史は教える。憲法の根本原則を踏み越える権限を政府に与える理由は見いだせない。

 7年余に及ぶ安倍政権は既に強大な権力を手にしてきた。国会は追認機関と化し、権力分立の根幹が揺らいでいる。今回さらに、特措法による緊急事態宣言で、政府は平時には認められない権限を行使できるようになった。独断専行が暴走につながる危険に注意深く目を向けなければならない。

 不安や恐怖に駆られて強い権限を頼み、自由や人権を譲り渡せば、個の尊厳は守れなくなる。そのことをあらためて確認し、共有して、権力の集中と強化が進む現状を押し戻す力にしたい。

(5月3日)

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