御柱・栄光と影と(4)=痛ましい事故 心身ともにいえぬ傷


<安全対策研修など動きも>

 「子どもにも孫にも御柱はやらせたくない。いやだ、末代までいやだ」。あの事故から三回目の御柱祭がまた近づいてきた。一家の大黒柱だった夫=当時(54)=を御柱祭で失った経験を持つ諏訪地方のAさん(74)にとって、この痛ましい記憶が二十年近くたった今でも頭の隅から消えない。テレビから流れる木やりの声に寒けを感じ、すぐにチャンネルを替えてしまう。祭り本番が近づくにつれて増える「御柱報道」には嫌悪感すら感じるという。

    ◇

 八〇(昭和五十五)年五月五日、諏訪市の諏訪大社上社本宮。御柱祭はクライマックスを迎えていた。八ケ岳山ろくから引き出した御柱を境内の四隅に立てる「建て御柱」で、「本宮四」の御柱を建てている最中の事故だった。

 柱は長さ約十三メートル。根元の太い部分の直径は約八十センチで、重さは約七トンあった。この柱に四十人ほどの氏子が乗っていた。柱の先端が一メートルほどの高さまで上がった時、突然、柱を支えるワイヤについたチェーンが切れた。柱は倒れ、その下にいたAさんの夫が下敷きになった。

 孫娘の誕生からわずか十日余りの出来事。喜びにわいていた家庭が一転、深い悲しみに包まれた。地域の知り合いを招き、祭りの労をねぎらうつもりで準備した宴席はその夜、重苦しい通夜になった。

 あの時生まれた孫娘は高校生になったが、家族の心の傷は今もいえない。「残った家族のことを考えれば、気をつけてやらないと。あんなこと二度とあってはいけない…。本当に、いけない」。Aさんは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

 この事故が与えた衝撃は家族ばかりではなかった。

 「ただあれだけが、おれの人生で一番つらい出来事だった」と、亡くなったAさんの夫が住んでいた地区で当時、大総代を務めていた男性(75)は振り返る。鈴なりに氏子を乗せて立ち上がるはずだった「本宮四」の柱は、事故の後、氏子を乗せずにひっそりと立った。

 この元大総代は言う。「すべての面で徹底して、綿密な打ち合せをしないと。一人でも不幸な人が出れば、いい祭りだったとは言えないんだ」

    ◇

 前回九二年の下社山出し祭の「木落とし」では、柱を支える追掛綱が切れ、態勢が整わないまま柱が横向きに落ち、巻き込まれた岡谷市の男性が亡くなる事故が発生した。数トンの巨木を動かす祭りは勇壮と裏腹に常に危険がつきまとう。下諏訪町御柱祭実行委員会警備部会は今回、木落としの際の柱の安定策を検討している。岡谷市御柱祭典委員会も、今回初めて曳行(えいこう)担当地区ごとに安全対策の研修会を開くよう指導した。

    ◇

 栄光と挫折、誇りと悲しみが重なり合う御柱祭。かつて、引いている途中の御柱に足を挟まれ、歩く時に足を引きずるなどの後遺症が残るある男性は「危険な祭りだからこそ、柱に乗って、坂を下って、おれが御柱男だ、と見せたがるんだ。六年に一度の、諏訪の男気の見せどころなんだ」と話す。「そんな人たちが集まる祭りだよ。けがをしても技量がないからだと笑われるだけだ。不名誉なことなんだよ」とも付け加えた。

 「木落とし坂」を下った経験を持つ男性は「無事に下れば六年続くヒーローだ。でも、死んだら悲劇のヒーローにもなれない」と語る。

 「木落とし」で夫を失った妻は困惑した表情で言った。「もう、そのことには、触れたくありません」。心に痛手を負った人々の声をかき消さんばかりの祭りの熱狂がまた始まろうとしている。

(1998年1月9日 信濃毎日新聞掲載)