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御嶽山の二ノ池から望む山頂の剣ケ峰(右奥)。登山道整備も終わり、26日から登れるようになる

 御嶽山山頂への登山を26日に規制解除する―。木曽郡木曽町が21日に正式発表したことに、噴火災害の遺族らからは「待ち望んでいた」との声が上がり、地元の山岳、観光関係者の多くも好意的に受け止めた。ただ、十分な安全対策が確立されたのか不安視する声は残っている。

<本当に安全か、複雑さも>

 「息子の魂を迎えに行くことができる」。長男の啓光さん=当時(37)=を山頂近くで亡くした上伊那郡南箕輪村の高木能成(よしなり)さん(70)は受け止めた。自宅近くの公園を好天の日に2キロほど歩いて鍛えてきた。登山用具もそろえた。26日は、噴火当日に啓光さんが使っていたザックを背負い、「家に連れて戻る」。

 26日に慰霊登山をする名古屋市の浅井正子さん(58)は「息子の代わりに山頂へ行きたい」と願っている。噴火当日に登山者が撮影した写真などを調べて、長男の佑介さん=当時(23)=は、山頂に着く前に噴火に巻き込まれたとみられると分かった。なぜあの日、御嶽山に向かったのか。「考えても考えても答えは出ないが、息子の目的だった山頂に行ってあげたい」

 山頂近くで息子の近江屋洋さん=当時(26)=を亡くした横浜市の父勇蔵さん(69)は規制解除を歓迎しつつ、「横浜では情報が少なく、規制解除の善しあしを判断できない。一般登山者には、本当に安全が確保できてからすべきでは」と複雑な思いだ。

 26日に慰霊登山を計画する被災者家族らでつくる「山びこの会」事務局代表のシャーロック英子さん(59)=東京。行方不明者5人が残る山頂部に一般の入山を認めることには抵抗感を抱く。ただ、「山で慰霊したいと願う遺族の思い、復興のためにも地元に寄り添わなければならない」と考えている。

 今回の規制解除は一部。解除されない木曽郡王滝村側で被災し、行方不明になっている野村亮太さん=当時(19)=の父、敏明さん(58)=愛知県刈谷市=は、26日に山頂から同村側の登山道を見下ろすつもりだ。「規制解除が今後の捜索に向けた一歩につながると信じたい。亮太を早く見つけたい」との思いを強めている。

<地元 観光面で期待、防災面では課題>

 御嶽山腹に架かる御岳ロープウェイの運行会社社長、今孝志さん(64)は「解除は紅葉の一番いい時期で、うれしい」とする。噴火前に比べ、今年は利用者が3分の1程度といい、「来年以降、どれだけ利用者が戻るかが重要」と見据える。

 木曽町は防災、安全対策について「考えられることはほぼやった」(原久仁男町長)と強調する。パトロール隊員として登山者に注意を促してきた強力(ごうりき)の倉本豊さん(62)は「町は取れる対策は整えたと思う」としつつ、「根本的に登山者の意識を変えていく必要があるが難しい」と口にした。

 御嶽山は、1979(昭和54)年10月に有史以来の噴火をした。その際は81年の夏山シーズンから山頂に登ることができるようになった。しかし、いったん強められた防災態勢は徐々に弱くなった。

 災害を風化させず、将来にわたり安心に登れる環境が要る。木曽町は、噴火警戒レベルが1(活火山であることに留意)のままでも、町独自に規制を強める独自ルールの運用や、パトロール隊の存在を強調する。ただ、町は21日の記者会見で、独自ルールの運用方法は今後詰めるとし、パトロール隊の長期維持には財政負担の懸念を示した。2020年度に建設予定の啓発拠点「ビジターセンター」の具体化もこれからだ。

 7合目で山小屋「行場山荘」を営む田ノ上徳延(よしのぶ)さん(71)は「遺族や(御嶽山の)信者が山頂まで登れるようになるのは良かった」。一方、行方不明者がまだ5人おり、木曽郡王滝村側などの登山道は規制が続くため、「観光や復興を前面にして話すのは早い気がする」と語った。

2018年9月22日掲載

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