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実践講座ワイド

 3月第5週の本欄は「実践講座ワイド」とします。1~3月の応募作品の中から、選者の写真家中谷吉隆さんと俳人坊城俊樹さんが「ぜひコメントしたい」と考えた作品を選び、対談してもらいました。写真と俳句のコラボレーション、季語について、2人をうならせた作品...。これからの作品作りの参考にしてください。

 中谷  フォト×俳句は写真も良くなくてはいけないし、俳句も独立性が必要。選考していて、(写真と俳句が)つきすぎということを感じる。今回は1人の作品の中で句も写真もいいんだが、組み合わせとしてこの写真にこの句を付けた方がもっとコラボレーションできているんじゃないかという例がこれだと思う。

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 <冬木立喪服の列の過ぎ行きぬ><大寒やカラスもノラもひもじかろ>(松本市・関義弘さん)

 中谷  両方とも写真、俳句いいんですよ。でも(下の作品)カラスの足跡みたいなものが見えちゃうからこの写真に「冬木立」の句を付けた方が響き合いがあると思う。

 坊城  逆に、「大寒や」の句に(上の)つららの写真を付けるのも手かなと思う。でも、どちらかというと「冬木立」と足跡の写真かな。

 中谷 俳句は推敲(すいこう)する。写真も仕上げの段階でトリミングしたり調子を出したり、推敲と同じようなことをしている。さらに、この句とこの写真を入れ替えたらいいんじゃないかということをやっていくのがフォト×俳句の推敲だと思う。

 坊城  「冬木立」は、写真に引きずられて俳句ができた感がある。そこを少しひねるといい作品になっていく。

 中谷  そう。そこで写真を入れ替えてみる。この足跡の写真、奥行きがあるでしょ。そこに「列の過ぎ行きぬ」というのが出てくる。



 <蒲穂絮(がまほわた)色即是空風まかせ>(横浜市・柴山洋さん)
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 坊城  これもなかなか印象深い作品だったのでここで取り上げられることになった。ガマの穂は晩秋に崩れていくと、写真のように穂綿になる。とにかく惜しいのは、ガマの穂そのものの句になってしまっているということ。

 中谷  写真を見ると、ガマの穂があとひと風で散ってしまう、必死にしがみついているという感じでとてもいい。ただ、俳句で色即是空はどうなんだろう。

 坊城  使うことは使いますが、よほどの句じゃないと難しいですね。それにガマの穂綿が色即是空となると、無常感を感じたとしても唐突感がある。この写真を使いたかったのなら、ガマの穂綿でない季題を使って軽い感じの句にするとか、色即是空を使いたいのなら「木の葉髪」のように、初老の女性の髪がハラハラと落ちていくような情景を使うと、この写真でも愉快になる。

 中谷  観念的な言葉とか、四字熟語のような成句は避けた方がいいんじゃないかという気がするね。

 坊城  歳時記や季語辞典には、季語の解説がある。ガマの穂綿なら、「因幡の白ウサギがくるまったもの」と書いてある。そこからヒントを得て、ウサギを連想する句を作るという手もある。「野うさぎの池畔めぐりて風まかせ」のような。

 中谷 季語の「本意」を大切にしたいね。二重季語とか季重なりというのはどうですか。

 坊城  例えば<後輩に託す兎や卒業子>(長野市・荻原宏祐さんの作品)は、「卒業子」が季題。ウサギも季語だと騒ぐ必要はない。作者の詠(うた)いたいものが明らかなら、添え物のような季語は無視しても構わない。だから、この作品は季重なりとは呼ばない。


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 <太閤と利休の影や初明り>(長野市・村松伸一さん)


 中谷  いやー、これ、広い茶室に格子の丸窓。派手好みの太閤(豊臣)秀吉をイメージさせる。そこに利休を持ってきた。見事なもの。写真だけでも華やかさがありながら重みがある。


 坊城 この句にちょっとケチは付けられない。写真との取り合わせも完璧。「初明かり」は元日の日の出の光だが、写真は夕暮れの感じがする。それくらいしか指摘しようがない。


 中谷 (利休に切腹を命じた)秀吉と自害した利休の関係を「影」と表現した。これが効いている。


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