TOP2014年01月「さなだ蕎麦」とは そばと大根(1)

 1月下旬、上田市で「さなだ蕎麦」を楽しむ会が開かれたので、のぞいてみた。

 もともとは、池波正太郎氏原作「正月四日の客」という短編小説があり、それを映画化した、その映画を鑑賞する、というのが始まりだったらしい。1時間ちょっとの映画を見て、時代考証家の山田順子さんが作品解説などをしてくれた。コーヒー・紅茶を飲みながらの講演会。さらに、小説・映画のもう一つの主人公「さなだ蕎麦」の現代版が出されて、これを味わいながらの懇談となった。なかなか面白い企画だった。

 では、「さなだ蕎麦」とはどんなものか。映画を見る限り、地大根(ねずみ大根)をすりおろし、それを布でしぼった汁に、ざるそばのつけ汁を加えたもの、らしい。

 これだったら、北信濃に色濃く伝わっている「おしぼり蕎麦」にそっくりだ。いや、「おしぼり」なら味噌を溶かしこむのが普通だが、この「さなだ蕎麦」は味噌は使ってないように見えた。映画では大根のしぼり汁が特に辛いという話にはなっていなかったが(と見えた)、どうなのだろう。

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 原作をさっと読んでみると、池波が描いた「さなだそば」は、「くろぐろと光った武骨な手打ちそば」という。そして「舌がひんまがるような辛い汁」で食べるというのだ。「ねずみ大根をすりおろし...」とか「三度もおかわり」とも書いてある。映画では小さい玉状に用意してある蕎麦をゆでる(湯通しする?)のだが、その量なら何枚も食べられそうだった。

 主宰者の解説によれば、池波氏は上田に取材にやってきて、こうした蕎麦の食べ方にも興味を持ち、あちこち食べ歩いたらしい。真田氏を書くに当たっては当然のことながら、長野市松代にも足を伸ばす。松代では、本場の「おしぼり蕎麦」「おしぼりうどん」を食べたのではないか。これが上田にあったのかどうか。「真田汁」というものもあったと聞く、という...。

 ――私の推測では、池波氏は上田では、あまり本格的な「おしぼり蕎麦」を食べなかったような気がする。

 「おしぼり」は今も、旧埴科郡・旧更級郡が盛んだ。坂城町の「中之条大根」や長野市灰原の「灰原大根」などは、オロシにすると相当に辛いことで知られる。

 そこへ行くと、上田が中心の「山口大根」はあまり辛くない。

 上田生まれの私も、子供のころは山口大根に親しんでいた。昭和20年代の農村ではよく農産物品評会が開かれたものだが、その野菜の中に堂々と山口大根があったことが、当時の村の「時報」類に出てきたりする。ごく一般的な大根であった。それでも、子供のころには既に、「中之条大根」は名前が知られていたような気がする。つまり、広く栽培される地大根の1つとして、近隣に聞こえていたのだった。

 で、池波氏が「おしぼり蕎麦」を食べたとすれば、坂城町より北、長野市へかけてのあたりだったのではないか。今の坂城町では、辛味大根は「ねずみ大根」と呼んで、町の名物に仕立てている。使い方は主に「おしぼりうどん」である。うどん屋がいくつもあるらしい。地元では蕎麦よりも「うどん」が主力のように見える。それは今でも続く伝統だ。だから、以前から同じような状況だとすれば、池波氏が食べた「おしぼり蕎麦」は、もっと北の方、おそらく松代町近辺だったであろう。

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 もう20年くらい前になるだろうか。

 長野市から地蔵峠を越えて真田町へ出る時のこと。斜面の小さい畑にソバの花が咲いていて可愛いかったので、立ち寄った。まわりで作業している老人に声をかけて写真をとる。よく見たらソバ畑の隣に大根が育っていた。あら、大根ですねえ、と声をかけると、老人はニコッとして、これで「おしぼり蕎麦」を食べるのが楽しみでねえ、と喜んで話してくれた。そうか、松代郊外でも、「おしぼり蕎麦」は食べているんだ、と感心したものだった。ソバと大根を隣り合って栽培するのが、北信濃ではどこでも見られた光景に違いない。戸隠の農村部では今もぎっしり、ソバと大根が並んで栽培される光景があちこちで見られる。

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 坂城町に「中之条(なかんじょ)大根」がある、とは知っていたが、その辛いオロシを食べる機会がなかなかなかった。

 やはり20年くらい前だったか、11月下旬に坂城町の1軒のそば屋にふらりと入った時、壁に「中之条大根のおろし蕎麦を始めました」と書いた紙が貼ってあった。これはいい、とさっそく注文して食べてみた。このオロシは猛烈に辛かった。辛いだろうとは予想していたのだが、食べ進むに従って辛さが広がって、口の中がだんだんしびれてくる。オロシをむやみにたくさん使ってはいけないのだ、と知った。まだ、「ねずみ大根」の名があまり使われていない頃だった。

 調べてみればわかることだが、「ねずみ大根」という名前は各地にある(あった)。発祥は名古屋近辺だとも聞いたことがある。何度かの流行の波があって、中部地方に広がった、ともいう。さらに、辛い大根がいいという話も広くあったようで、東北には今も「おしぼり大根」という名前が使われている。大根に似た辛いカブ(蕪)も各地にあるらしい。そうした中で、坂城町の「ねずみ大根」がブランドとして広く認められたのは、珍しい例にも見える...。

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 池波氏が上田で食べたそば屋はいくつかあったようだが、考えてみれば、古くから今も残っているそば屋は少ない。そのうちの1つでは、以前から「真田そば」をメニューに載せていた。これはたっぷりの大根オロシ(あまり辛くない)にみそ味で、だし汁で溶かしてつけ汁にするというもの。池波氏が好んで通ったと言われる店の、特徴的な名物メニューとして知られていた。

 今回の「さなだ蕎麦」は、そのメニューとはあまり似ていない。

 一方で、昔から上田地方に「さなだ蕎麦」があったとする文献も見たことがあるが、恐らくは池波氏の小説からとったものであろう。一向に定着したメニューではなかった...。

 今度の「さなだ蕎麦」が、上田らしい名物蕎麦として広く認知されるのかどうか。まだ不確かな要素があるような気がするが、これからの展開が楽しみである。

2014年1月30日掲載

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