TOP2014年03月そばと大根(3) 農村での食べ方は...

 3月中旬、たまたま長野市戸隠を訪れ、久しぶりに入ったそば屋で食べた「おろしそば」が割と美味しかった。同行者の「ざるそば」を味見したら、こっちは味がイマイチだった。大根オロシがかなりいい味を演出しているのか、と感心した。蕎麦の味を引き立てるだけでなく、ひどく辛いわけでもないのに、後からは軽く汗を感じるほど体が温まる。いわば元気が出る味に仕上がっていた。欲を言えば、もう少し洗練された旨さが出るとうれしかったのだが。

 前回紹介した伊勢の御師・荒木田久老を思い出した、大根があって美味しいとはこういうことかな、と。珍しい体験だった。それでまたいろいろ考えてしまった。もしかすると、福井の「越前おろしそば」も、こういう味になるのかしらん。改めて大根オロシの魅力をさぐってみる。

     ☆

 前回にも触れた『蕎麦全書』(徳川時代中期の成立と言われる)には、辛味大根をすごくほめて書いてある。役味(薬味)にはこれが一番だという。しかし実は、当時の大根の種類や普及程度、使い方、味などはよくわからない。特に地方では不明な点が多い。

 『蕎麦全書』では、蕎麦に合う大根は、辛い汁がたくさん出るものがいいという。そんな大根が、今もあるのだろうか? カブ(蕪)も含むのか? 蕪なら辛い汁がたくさん出る種類があるのかもしれない。東北地方では今もそんな蕪が栽培されていると聞いたことがある。

 そうしたことと関係があるのかどうか。10年近く前に、上伊那郡高遠町(今は伊那市)で辛いオロシ大根で蕎麦を食べるイベントがあって、のぞいてみた。確かに汁は辛かった。その元の大根があったので見ると、尻尾がいくつにも分かれたごついものだった。触ると固い。これをおろして汁を絞っても、あまり汁がとれないのでは、と思った。大根を売る女性に聞いてみると...「絞り汁はあまり出ません。たいへん貴重なものでした。高遠藩の殿様は、この貴重な絞り汁を使って美味しく食べたようです」と解説してくれた。その時に食べた蕎麦は、必ずしも抜群に美味しいとは思えなかったのだが。

 殿様が食べたという大根の汁を、一般の農民が同じように食べたとは思えない。一般人は、そんな効率の悪い食べ方はふだんはしなかっただろう。

     ☆

 江戸での辛さの賞賛は、地方の農村ではどう受け取ったか。もともと、辛い大根汁で蕎麦を食べる習慣は、どこまで広がっていたのだろうか。一部の記録に登場することはあっても、一般の農家などへ普及するのは時間がかかったことと思うのだが。

 辛い大根汁で食べる風習は、どことなく、江戸など大都会の蕎麦文化の延長上にあったような気がしてならない。つまり、一般の農家で、囲炉裏の火で味わうのに向いた食べ方は、都会では発達しにくかったのだろうと思う。

 農山村では冬に温かい蕎麦を囲炉裏端で食べるのが一般的だったはずだ。そこへ都会人がやってきて蕎麦を食べるとなると、冷やして冷たいのを所望する。さらに辛い大根汁がいいと言う。そうした「ご馳走」に耐えられる食べ方が、街道筋や寺院などから、有力農家へジワジワと広がったのだろうか...。

     ☆

 そこで、田舎の辛さの味わいについて、いくつかの視点から考えてみよう。

【1】農村では本来、それほど辛いものは好まれなかったのではないか。おだやかな味わいが主でなかったか。

 信州のような山国では、塩もほとんどは海辺から運ばれてくるもの、つまりは買う(交換する)ことで手に入れた。だから自由に使えるものではなかった。甘みも、砂糖などは高級品、めったに口にできなかったはず。天然の甘みをわずかに使うことはあっただろうが。他に酸味も必要だったが、その入手方法や採取・製造については、もう忘れられたようだ。そうした中で辛味は、「なんばん」「こしょう」などと呼ばれる唐辛子系統、サンショウ(山椒)、ショウガ(生姜)などもあったが、普通の農家の家庭料理にはあまり登場しなかったのではないかと思う。

 個人的には、昭和20年代の農村では、唐辛子もあまり使わない、特に子供は敬遠していたものだった。どことなく「大人の味」だったような気がする。大根オロシの辛いのもほとんど覚えがない。一般の農家に辛味大根のオロシを使うことが普及していたとは感じなかった。

 管見につき、食べ方、味覚の平均的な作り、調理、使用方法などは、あまり研究したリポートを見たことがない。

【2】都・江戸の人(中央の人、文化を広める人)の影響で広がったか。

 辛味の普及は、都会から広まったものだろう。信州で言えば、街道筋から、あるいは寺院や有力農民から周辺農村へ、という広がりが考えられる。しかし、大根だけは相当に早くから全国の農村に広まっていたはず。ただし、オロシにするのは多くなかったことだろう。

 オロシ大根の広がりは、例えばニンニクなどの臭い食べ物の普及とも似ているような気がする。従来の農村のおだやかな味つけに、少し強い個性の野菜や調味料が入っていくパターンである。

 (ニンニクなどの臭い食べ物は、一般の農家が栽培して自家用に食べる家は、私の子供のころには少なかったような気がする。今は大モテの山菜「ギョウジャニンニク(行者にんにく)」も、昭和40年ころまでは、山村の人たちもほとんど食べなかった。これを食べると便所の中まで臭くなる、だから食べない、と聞いたものだった。臭いものには相当に敏感だったものと思う。)

【3】食べにくいものを、辛さでがんばって食べてしまう、そいうこともあったのかどうか。

 唐辛子の普及の中では、少しくらい不味い食べ物でも、辛さを加えることで何とか腹に収めることが出来た、という側面があるような気がする。つまりは、本来の食べ物の風味や味を殺すようにして食べるパターンである。

 もしかしたら、徳川時代の田舎の蕎麦には、そうした性格があったのかしらん。つまり、材料のソバ粉は、製粉の状態があまりよくなく、殻がまじったり、えぐみが残ったりした、それを救ったのが辛いオロシ大根だったのか、と。

 しかしそれは、田舎(農村)の人の好む味だったとは考えにくい。やはり都会人向きの味わいだったような気がする。

    ☆

 もう20年以上も前のこと。中信地方の割と有名な郊外のそば屋で、楽しい体験をした。

 普通のざるそばを食べたのだが、薬味にいくらか多めの大根オロシがついていた。ツユは色が薄い。ツユにオロシを入れて食べると、ちょっと辛いだけ、全体の味はなかなかよかった。気分よく食べてノレンをはねて外へ出た時に、ジワーっと体が暖かくなった。あれまあ、珍しいことがあるなあ、と感心した。

 1カ月くらい後にまた寄ったら、やはりいい味だ。それで聞いてみたら、この大根は近所の人に頼んで栽培してもらったものという。ツユは「たまり」を使って、と教えてくれた。そうか、そういうことか。

 そば(そば切り)の弱点を大根オロシが補う、あるいは救う。その大根の弱点を、味噌ないし「たまり」(味噌だまり/醤油だまり)が救う、という構図か。いやいや、ここの店の蕎麦は、それ自体がかなり美味しいものだった。蕎麦の味を引き立てるのに役立つような薬味、ツユの組み合わせだったような気もした...。

 今も、少し不味いかもしれない蕎麦の味を上手に救うのに役立つか。たまに、普通のつけ汁(もり汁)で食べてもあまり冴えない蕎麦が、大根オロシを入れるとピンと美味しくなる店がある。薬味を使うことが大きくプラスに働く場合である。こうした大根オロシの上手な使い方は、店により職人により微妙に違ってくる。

 その後、同じ店でも、急に蕎麦の味が変わってからは、この微妙に美味しいツユ、オロシには出会っていない。

 それぞれの店の蕎麦に合うオロシ、あるいは大根は、栽培の上手な農家と手を組んで調達するのがいいのだろう。あるいは余裕があれば自分で栽培する、タネが手に入らなければ自分で採種して蒔けばいい。そうした努力を重ねている店もあれば、評判に頼って使うだけで肝心の蕎麦の味を損ねてしまう店もある。

 前に書いたような、夏でも都会人をもてなす辛い大根汁は、今はあまり聞かない。工夫して作り上げていく名物メニューがもっとあっていいような気もする。

2014年3月20日掲載

前の記事  サイトトップに戻る  次の記事

著者プロフィール