TOP2018年07月とうじそば考(4) お椀からお椀へ

 ある時に、戸隠村出身の、私より少し若いくらいの男性に、子供の時に「とうじそば」を毎晩のように食べさせられて、嫌いになった、という話を聞いた。そうか、子供にとっては、あの味を毎晩食べると嫌いになるか...。

 戸隠や鬼無里では古くから、換金作物として麻(大麻)栽培が盛んだった。麻の収穫後に、急いでソバを蒔いて栽培する。ソバは霜に弱いので、霜の被害にあう前に収穫しなくてはならない。かなり忙しい栽培である。

 麻は5月に種蒔きして、8月中旬に収穫する。標高によっても違うが、8月の20日ころが普通だったらしい。麻は根元から抜いてしまうことが多かった。そこを簡単に耕し、ソバを蒔く。「そば七十五日」などと言われるくらい早く稔るが、それでも収穫までに霜が来ることもある。弱い霜が一度か二度来てからがいい、という説もあるが。

 こうした栽培の結果、年により豊作や凶作の予想がつけにくい、不安定な作物、とも言えよう。一方で、麻は大切な換金作物なので、肥料などもたっぷり与え、大きく育てる。その収穫後には、まだ消化しきれなかった肥料分がかなり残っている(はず)。それで、ソバの肥料は特に与えなくても、よく育った、と言われる...と聞いている。本当かどうかは知らないが、たぶん、当たっているだろう。

 不安定かもしれないが、大量にソバを栽培しておけば、家族の冬の食べ物には、かなり使える。少しくらい品質が落ちても我慢する。当たった年には美味しい蕎麦が食べられる、ともなった...、のだろうか、と推理するのだが。

 小麦がほとんどとれない地域であれば、うどんなどめったに食べられない。ふだんの蕎麦を工夫して美味しい味に仕立てる方が手っ取り早い...。

 何か目出たいことがあった時など、キジ、山鳥でも手に入ると大ごちそうになった。キジの肉が入った汁は、いいダシが効いて格段に美味しい。主婦は張り切って、いつもよりたくさん蕎麦を打つことになる。普段は「とうじそば」と言えば嫌な顔をする子供も、こんな時には喜んで、たくさんおかわりをして腹一杯食べたものだとか。婚礼や法事などの集まりでは、猟師に頼んであらかじめ仕入れておいて、ごちそう作りに励んだ。「お煮掛け」、「おこうがけ」という言葉の裏に、そうした微妙な心情がこめられていたようである。

 そうした中で、「とうじそば」で食べる時は、主婦がお椀からお椀へ盛る、と聞いた。え?と不思議な気がした。

 戸隠で言う「ぼっち」は、トウジカゴに一つ入れて、汁の中で温め、お椀に盛るのにちょうどいい大きさ。たいがいの土地で、お椀に盛るもの、とされたようである。ちなみに、「ぼっち盛り」という呼び名は、割と新しいものだったという記憶がある。昭和50年代には、ほとんど聞かなかった...誰かが意識的に広めた名前、という印象である...。

 トウジカゴには、麺だけでなく、具(おこう)も少し、一緒に入れてお椀へあける。普通は、お椀へ後から汁や具をかけることはしなかったようである。

 夕飯であれば、何杯もおかわりをして食べる。腹一杯になって終わりたい...。次から次へとおかわりの注文が出る。それをさばくのは主婦の勤めだった。一つのお椀に蕎麦を盛る。注文が来た子供には、お椀からお椀へあけてやる。手早く、混乱がないように進行させるのは、主婦の腕の見せどころだ。そこで、家族の中でも区別...差別をすることがある。

 よく働く男衆には麺を多く、野菜の具は少なめに。子供なんかは麺を少しにして、干葉などの具を多くする。つまりは、際限なく麺を食べてもいいということではなかった。野菜などで腹を一杯にする工夫をしなければいけない。冬場であれば、夜はあまり力仕事は無い。寝るだけだったら、当座の間、腹一杯になればいい、という理屈だと聞いたが、どこまで本当だったか、よくわからない。それにしても、季節や仕事の流れ、家族の好き嫌いも承知の上で、誰にどう盛るか、というコントロールを、主婦が受け持つわけだった。家族の顔色を見ながら、適宜盛り分けていく才覚が、主婦には必要だったという...。

 そんな話は、信州新町の民宿でも聞いたことがある。イロリ端で、お椀からお椀へ盛るのを、そこの主婦がやってみせてくれた。なるほど、という動作だった。いわば、主婦の腕の見せどころでもあったわけである...。

 お椀からお椀へ、という盛り方は、考えてみれば、東北地方の「わんこそば」にも少し似ている。日本の農村の、相当に広い地域で似たような食べ方をしていたものだろうか...。

2018年7月30日掲載

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