転換期のリンゴの里 未来につなぐ助け合う力(飯綱町)
■コラム「この地から」 論説顧問・丸山貢一
蚕が繭を作る前に次々と死んでいく。山下勲夫さん(77)の脳裏には中学生の時に見た光景が焼き付いている。
稲作と養蚕を中心に代々続いてきた旧上水内郡三水村(今の飯綱町)の農家。山下さんが生まれた1948(昭和23)年ころ、リンゴ栽培を始めた。
リンゴ畑に散布した農薬が風に運ばれ桑の葉にかかり、蚕が影響を受けたのでは…。その問題意識が原点になった。
高校卒業後、都内にあった国の教育機関に学び、有機農業の先駆者と交流。草創期の生協運動ともつながった。
帰郷した山下さんは73年、近在の農家らと5人で出荷組合「新流会」を発足させ、農薬削減、化学肥料不使用、無袋栽培などに取り組み始めた。
◇
県果樹発達史によると、政府は戦時中リンゴを「ぜいたく品」として新植を禁止し、強制伐採も進めた。
戦後に統制が外れると各地で空前のリンゴブームが訪れる。旧三水村でも50年の49ヘクタールが60年に134ヘクタールに拡大。68年には全国の1%、9560トンを生産した。
影も忍び寄る。ミカンや輸入が自由化されたバナナの影響を受け…