〈綿半HD相談役・野原莞爾さん〉 資本政策再編について解説する。 遠因は、父達也が創設した「社員即株主制度」が形を変えて課題になっていたことがある。 1960年代から70年代の高度経済成長期、綿半グループは、子会社、あるいは孫会社が親会社の株を大量に持っていった話はこれまでに少し触れた。実は…
〈綿半HD相談役・野原莞爾さん〉 慶応義塾大学商学部時代、小高泰雄ゼミの指導教官役だった清水龍瑩(りゅうえい)さんとは、卒業後もお付き合いさせていただいた。特に印象に残っているのは社史だ。 「大企業は会社を挙げて正史(社史)を記録する。しかし日本の成長を支えてきた中小企業の社史がないのが残念…
〈綿半HD相談役・野原莞爾さん〉 今日からは私の経営の底流に影響を与えている恩師との出会い、慶応義塾大学に関する話をしていきたい。 私は1962(昭和37)年4月、慶応義塾大学の商学部に入った。 本当は、経済学部に進みたかった。ご存じの方も多いように、創設者福沢諭吉(1835~1901年)が…
9月の全国的な長雨や日照不足の影響で、県内のスーパーで葉物野菜を中心とする野菜の価格が高騰している。上がっているのはレタス、キャベツ、白菜といった、食卓の彩りや、これから需要が高まる鍋ものに欠かせない野菜ばかり。物価高で家計が圧迫される中…
〈綿半HD相談役・野原莞爾さん〉 東京五輪の歓迎ムードに沸いていた1964(昭和39)年7月、父達也は綿半グループの一つ、野原産業社長の座を退き、達也のいとこの弘吉を2代目の社長に据えた。この時、達也は49歳。 その後も徐々にグループの経営を引き継いでいき、81年に全ての会長を退き相談役に就い…
〈綿半HD相談役・野原莞爾さん〉 「保有株式を見てください。雇われ経営者のようなものですよ」 私はよく懇意にしている経営者に、こう言っている。どういう意味だろうか。 2026年3月期の綿半ホールディングス(HD)の発行済み株式総数(1900万株余)のうち、私の所有は38万株余で、所有割合は2…
〈綿半HD相談役・野原莞爾さん〉 綿半428年の歴史の中で、明治維新後の激変期、変革に手腕を発揮したのは綿から金物に転換して「綿半中興の祖」といわれた曽祖父半三郎数吉(かずきち)(1852~98年)だ。数吉は若くして、8人の子を残し、45歳で亡くなった。 ■昭和の金融恐慌のあおり 21歳で店…
〈綿半HD相談役・野原莞爾さん〉 綿半グループは2028年、創業430年を迎える。連載の最初になぜ「綿半」なのか、いつを「創業時」としているか、どんな歴史をたどったか、少し説明したい。 ■「綿半」の由来 戦国時代、織田信長の武将に中谷勘右衛門という侍がいた。彼は1582(天正10)年の「本能…
<東京信州経済人の会から信州へ プロローグ> 部屋の中央のソファに向かうようにデスクがある。その左横には書棚。壁には色紙や軸が飾られている。 東京・四谷、綿半野原ビル7階。綿半ホールディングス(HD)相談役の野原莞爾(かんじ)さん(82)の執務室は、もともとの役員会議室を改修した部屋だ。隣は野原…
綿半建材(松本市)の社員小関智昭さん(51)らが、綿半グループのマスコットキャラクター「わたぴー」をモチーフにしたプラモデル3体を作った。同社工場の…
綿半ホールディングス(HD、飯田市)は24日、電気設備工事などの東陽興業(飯田市)の全株式を取得して完全子会社化した。東陽興業は事業の承継先を探していた。綿半HDは今後のリニア中央新幹線開通を見据え、設備工事などの需要が拡大すると見込む。 東陽興業は1950(昭和25)年設立、資本金5千万円。工…
綿半ホールディングス(飯田市)傘下の綿半林業の家(松本市)に3月入社した関梨瑚さん(28)は、木造住宅の営業として中信地方のモデルハウスを来場者に案内し、魅力を紹介している。「人生の一大イベントに立ち会えることがうれしい」とやりがいを語る。
(増減は前年同期比)・・・
2026年上半期(1~6月)に県内企業が関係したM&A(企業の合併・買収)や資本参加などの件数は前年同期比8件増の43件で、集計開始以降で過去最多となったことが22日、分かった=グラフ。M&A助言のレコフデータ(東京)がまとめた。需要増を期待した宿泊業者の買収や、自社事業の競争力強化で県外企業を買…
第16回「わたしの『ふる里自慢』絵画コンクール」(綿半グループ主催)の審査委員長を務める信州大大学院特任教授の小川総一郎さん(69)と、審査委員で綿半ホールディングス(飯田市)社外取締役の代田昭久さん(61)、前飯田市教育長=が21日、長野市の信濃毎日新聞長野本社を訪れた。昨年は全国から2578点…