就農の原点、ネパールとの出合い 「家族」と時給自足の生活
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■〈つれづれ農日記、有機就農25年 斎藤期英〉(25)
早いもので本欄も3年目に入る。今回は筆者が就農するに至った原点ともいえるネパールとの出合いについて振り返りたい。
大学時代に林学を学んだ筆者。昭和の終わり、バブル前夜だった当時の日本は自然保護の論調が高まり国内林業が衰退する一方、世界最大の熱帯木材輸入国となり、乱伐により東南アジアなどで深刻な環境破壊を引き起こしていたことを知った。その義憤のような気持ちから「海外へ出て見聞を広め、自分にできることを考えたい」との思いが募り、青年海外協力隊を志望。だが林業関係の分野で東南アジア諸国は派遣国に入っておらず、唯一アジアで選択できたのがネパールだった。駒ケ根市での3カ月弱の語学訓練を経て1988年7月、同国へ派遣された。
ネパールでは環境NGOの自然保護プロジェクトに配属され、ヒマラヤ観光の拠点ポカラの北西約20キロにあるグルン族の大きな村、ガンドルック(標高約2000メートル、人口約5000人)で2年間過ごした。仕事は植林部門。苗畑の管理をしてくれ、と言われた。
当時一帯はアンナプルナ山群へのトレッキングが人気で…
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