白ブリと同時卒業で 「アフロの俺が俺で俺だ」(68)
子供の頃、両親のことを「パパ」「ママ」と呼んでいた。しかし小学校の中学年に差し掛かると、それが段々と恥ずかしくなってくる。だからと言って突然「お父さん」「お母さん」と、呼び方をかえるのは照れくさい。これは多くの人が抱いた葛藤だと思う。
ある友人は中学の時、その変化の狭間で立ち尽くし、二十年近く「パパ」「ママ」とも呼べず、「お父さん」「お母さん」とも呼べず、声をかける時は「ねぇねぇ」と語りかけているらしい。
そこで俺は考えた。日本全国共通の慣習として「変えるならココ!」というタイミングはつくれないだろうか。県境を越えたら千曲川が信濃川に変わるように、この線をこえたら名称を変える、という明確な日があればきっと照れくささが軽減するはずだ。
過去の記憶を辿り、相応しい時期を探る。すると「あ!この日だったかも!」という一日が思い出された。
あれは小学生4年生の春。雪の名残がついに消え、桜の蕾が開き始める頃、俺は
「もうブリーフいやだ! トランクスがいい!」
と母に訴えたのだ。子供の頃は何故だかみんな白ブリーフ。しかし、いつしかそれを卒業し、それぞれのこだわりへ変容していく。多くの男子が通る、自意識がより強靭になったことを示す、普遍的な瞬間。ここではないだろうか。白ブリを卒業する時に、パパママ呼びも同時に卒業する。これが全国的な慣習として馴染めば、違和感なく呼び方の移行ができるのではないか。
そんな話を友人に熱弁していると、先輩が話に入ってきた。彼は息子が誕生日を迎える度に
「お前、今年からパパのこと、オヤジって呼ぶか?」
と尋ね、自分からタイミングを作ってあげているのだという。なるほど、親の方から機会をつくるというのは画期的。
かと思えば別の友人は、いつかパパと呼ばれなくなるのが寂しくて仕方ない、と話す。親からすれば成長は嬉しさでもあり、寂しさでもあるのだ。
俺が最後にパパと呼んだのはいつだっただろう。呼び名が変わった時、父は寂しかっただろうか。逆にこれから現在の「オヤジ」から「パパ」に戻す、という前代未聞の荒技をやってみたらどうなるだろう。ビックリするだろうなぁ。
これからは時代が代わり、パパママ呼びが恥ずかしい、という感覚さえもなくなっていくのかもしれない。その時には白ブリーフを愛用する大人も増えたりして。







