佐久市と合併して子ども半減…廃れる不安的中 開発進む中心部と格差広がる地域の苦悩
〈平成の大合併 20年の轍(わだち)〉
佐久市や北佐久、南佐久郡の4市町村が「新佐久市」として発足して4月で20年。市の西側に位置する望月で、人口減少のペースが加速している。合併時に1万人余あった人口は4月現在、3割近く減って7770人。北陸新幹線佐久平駅周辺で開発が進み人口も増える中心部との格差は大きく、旧町村部の臼田、浅科と比べても深刻だ。充実した交通網や利便性の高さが注目されがちな市にあって「条件不利」にあえいでいる。
(野口健太郎、渡部雅隆)
■人口3割減…望月地区、20年後はどうなっているか
佐久平駅から直線で10キロ余、山あいにある佐久市春日(旧望月町)の上新(じょうしん)区。5月中旬、佐藤春市さん(81)が自宅隣の菜園で、夏野菜の苗を植えながらつぶやいた。「この辺りは子どもが少なくて高齢者ばかり。10年後、20年後はどうなっているか」
■消えた子育て世帯
菜園の向こうに立つ建物は旧春日小学校の校舎だ。望月町が旧佐久市などと合併した3年後の2008年3月、4小学校を統合した望月小の開校に伴い閉校。次第に子育て世帯が地域から消えていった。佐藤さんは、昔は子ども向けの地元区の催しなどもあり、交流や結束につながっていたと懐かしむ。「子どもがいないと地域は廃れるんだね」
望月の0~14歳は4月時点で637人で、合併当時の05年4月の1373人の半数以下に減った。全世代に占める割合は旧4市町村で最低の8%で旧佐久市の13%(9299人)との差は大きい。
望月選出の佐久市議として4月の改選まで3期12年務めた吉川友子さん(53)は「若い世代は共働きが多い。子育てしやすい環境を求めるため、選択肢が少ない望月は選ばれにくくなった」とみる。佐久平駅周辺に移り住んだ世帯もいるという。
■小学校統合
小学校の統合方針は、町時代に決まっていた。町教委が02年、児童数減少や校舎老朽化を受け表明。当時、4校の児童数は計600人余。統合で教育環境の「適正化」を目指すとした。保護者らは「少人数教育の良さが失われる」、地域は4校が昭和の合併前の旧町村単位にあるため「文化が廃れる」などと懸念したが、町教委は協和、春日、布施、本牧のうち各校からほぼ等距離で財政面でも有利として、協和小敷地に統合小学校(現望月小)を新築する方針を04年2月に明らかにした。
折しも「平成の大合併」が重なった。03年8月の町長選は、佐久市を含む大型合併に否定的で、隣接する北佐久郡立科町との合併か、合併しない「自立」を主張する現職と、佐久市を選択肢に挙げる新人が争い、当時55歳の竹花健太郎氏が初当選した。
就任後、町は自立か佐久市との合併かで住民アンケートを実施。結果は自立44%、合併40・1%だったが、竹花氏は佐久市との合併に進んだ。
■危機感はあったが…
「人が減る状況で、住民が生活を続けていくには最も良い選択肢と考えた」。新佐久市で助役や副市長を歴任した竹花氏(77)は取材に、当時から人口減少を痛感し、住民サービス維持の方策として合併を決めた―と振り返る。
過疎地域に指定されていた町は有利な借金の過疎債を借り入れて施設整備を重ね、「それらを維持していくためにも必要だった」。小泉純一郎政権が進めた「三位一体改革」で補助金や地方交付税が削減され、小規模自治体ほど財政の将来性に危機感を持っていた。ただ竹花氏は、規模がはるかに大きな佐久市との合併で「周辺部になる、との不安はあった」とも明かす。
■「周辺部も大事」と市長強調
4月の市長選で5選された柳田清二氏(55)は、市全体の「均衡ある発展」を意識し、旧町村部の社会、教育、医療インフラなどに投資してきたとする。中心部との利便性の「差」を認めつつ「駅付近だけが発展した―との印象が強いが、市の周辺部も同じように大事だ」と強調する。
拓殖大の河村和徳教授(政治学)は、合併で周辺部化し活気を失ったとされる地域について、「役場縮小や学校統合などの変化に対し、住民が対策や将来像を描けていたか『自治』の視点で再考してみる必要がある」と指摘。中部横断道の全線開通を控え、望月には宿場町の歴史などの価値もあるとして、「外部とつながれる人材の力を借り、強みや特性を考えて行動すれば、人を呼び込むチャンスはある」と提言した。







