「シントンくん」と30年後の再会 高校時代のお弁当をめぐる思い出

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高校時代のシントンくん(左)と、とも子さん=とも子さん提供

【朝日新聞のデジタル版連載「いつも、どこかで」 2026年6月14日配信】

 「シントンくんにお弁当を持っていくようになったのは、高校2年のときの席替えがきっかけでした」

 東京都内の小学校で図画工作を教えている「とも子」さん(61)は、そう振り返る。

 通っていた高校には、タイからの国費留学生が各学年に5人ずついた。

 そのうちの1人であるシントンくんと席が隣同士になり、あることに気づいた。

 クラスメートがお弁当を持ってくるなかで、彼は毎日のようにパンを食べていたのだ。

 特に、購買部で売っていた「焼きそばパン」をよく食べていた記憶がある。

 ある日、彼が「いいな、お弁当……」とつぶやいたのが聞こえた。

 自分に向けて言ったのかはわからないが、「確かに毎日焼きそばパンだと飽きてしまうわね」と思った。

 その言葉を聞いて以降、何となく隣でお弁当を食べにくくなり、母にそのことを伝えると、こんな提案をされた。

 「高校生が親元から離れて、外国でひとり暮らしなんて大変ね。お弁当を一つ作るのも二つ作るのも大して変わらないから、持っていってあげたら」

 さっそく次の日、母はお弁当を二つ作ってくれた。

 色違いの包みの中身は、同じサイズで、同じ中身のお弁当箱。

 もともと大きめのお弁当箱を使っていたので、男子高校生にも十分な量だった。

 登校して「はい、これ」と一つを渡すと、シントンくんは「ありがとう」と受け取った。

 その日から卒業までの約1年間、母はお弁当を毎回二つ作ってくれた。

 とも子さんは「自分でお弁当を作ったことは一度もなく、ただ運んだだけでした」と振り返る。

 

■お弁当以外の思い出は

 「タイのお料理って辛いイメージだけれど、うちの薄味のお弁当で、大丈夫なのかしら?」

 母は時折、そんなことを心配していた。

 確かに、煮物やサケの塩焼き、卵焼き、ホウレン草のおひたしといった「ザ・日本のお弁当」だ。

 とも子さんにとっては好きで慣れた味だが、見た目は地味だし、揚げ物やハンバーグ、ウィンナーなども入っていなかった。

 でも、毎日お弁当箱がきれいに空になって返ってきたので、母には「大丈夫みたいよ」と伝えていた。

 シントンくんとは2年間同じクラスだったが、部活も別々だったし、仲良しグループにいたわけでもない。

 次の席替えで隣でなくなってからは話す機会も減った。

 お弁当以外の思い出といえば、文化祭のクラス劇「銀河鉄道の夜」のことくらい。

 日本語ペラペラのシントンくんが、片言の日本語を話す外国人役だったのが印象に残っている。

 高校卒業後、とも子さんとシントンくんは、それぞれ違う大学に進学した。

 

■学校にかかってきた電話

 それから30年近くが経った2011年の夏。

 とも子さんが勤務していた千代田区の小学校に、1本の電話がかかってきた。

 職員室にいたので受話器を

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