色がない世界で見た「赤」、7年後の再会 豪雨被害で茶色一色の町に
【朝日新聞のデジタル版連載「いつも、どこかで」 2026年6月7日配信】
河川の氾濫(はんらん)や土砂災害などで、230人以上の死者がでた「西日本豪雨」。
発生から2カ月が経った2018年9月、間部晴子さん(58)は災害ボランティアとして岡山県倉敷市に入った。
きっかけは、当時19歳だった娘から「ボランティアに行こう」と誘われたこと。
娘は東日本大震災の時も「行きたい」と言ったが、まだ中学生だったこともあり、晴子さんがとめた。
「食事も寝るところも自己完結できなきゃダメ。足手まといになっちゃうから」
あれから7年が経ち、娘は静岡県清水町の実家を出て、前橋市にある建築の専門学校に通っていた。
「今度こそ行きたい。お母さんも一緒に行こう」
そう誘われた晴子さんは仕事を休んで、娘と倉敷へ向かった。
行く前は「2カ月経っても、ボランティアを募集してるの?」と思っていた。
だが、現地に行って「2カ月経っても、ぜんぜん復旧してないじゃん」と感じた。
水没した影響で、あたり一面が土砂の茶色に染まった「色のない世界」。
道路脇には廃材が放置されており、歩道のあちこちに大小の釘が落ちていて、歩くのも大変だった。
■すっかり夫婦とも打ち解けて
ボランティアセンターから指示を受けて向かったのが、山本晃(あきら)さん(83)と富美枝(ふみえ)さん(82)の家。
1階の天井付近まで水につかり、夫婦は自衛隊のボートで救助されたそうだ。
水害に備えた保険には入っていなかったため、かつて内装関係の仕事をしていた晃さんが自力で再建するのだという。
「それじゃ、そこの板を洗ってもらえますか」
晃さんから頼まれたのは、簡単な仕事ばかり。
晴子さんは建築関係の仕事をしており、工具もある程度は使えた。
「この床板、使わないのなら電動ノコギリで切っちゃいましょうか」
そうやって作業に取りかかると、晃さんは驚いていた。
それを見た富美枝さんも「まぁ、そんなことまでお願いしちゃって」と、驚いていた。
3日間作業するうちに、すっかり夫婦とも打ち解けた。
「2年もあれば再建できるから、その時はここでバーベキューをしよう」と晃さん。
富美枝さんはスマホを使いこなしていたので、LINEで連絡先を交換した。
■色彩を感じた瞬間
色のない被災地でただ一度だけ、色彩を感じた瞬間がある。
山本さん宅のガレージで作業







