「ゆきのちゃん、退学しました」 無力さ感じた4年後に再会、挑戦

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陸上部の練習で一緒に汗を流す冨田ゆきのさん(右)と、顧問の松原謙二さん=冨田ゆきのさん提供

【朝日新聞のデジタル版連載「いつも、どこかで」 2026年7月5日配信】

 定時制高校の教師になって15年目の松原謙二さん(58)。

 現在は川崎市立橘高校で4年生の担任を務めている。

 兄の影響で教師を志し、大学卒業後に通信制高校のサポート校で教壇に立った。

 その後、私立高校へ移ったが、大学合格者数で評価されることに違和感があった。

 「経営ではなく教育をしたい」

 そう思って、川崎市の教員採用試験を受け、定時制高校の教師になった。

 そこで感じたのが、「ここには教育の原点がある」ということ。

 「漢字が読めないので、プリントに読み仮名を振ってほしい」

 「後ろの席だと寝てしまうので、前にしてほしい」

 様々な事情で学びたくても学べなかった人が多く、熱心に授業を受けていた。

 だが、必ず全員が卒業していくわけではない。

 進学や就職をする生徒もいれば、将来を見通せないまま退学する生徒もいる。

 「ゆきの」さんは後者だった。

 

■毎週金曜日に届けもの

 ゆきのさんが2年生のとき、松原さんが担任を務めた。

 1年時の担任からは、こんな引き継ぎを受けていた。

 「明るい性格で、自分が当番でなくても日直や掃除などをやってくれる、太陽みたいな生徒です」

 だが、コロナ禍になって、彼女は学校に来なくなった。

 何度か面談をしたが、うつむいたまま、自分から話そうとはしなかった。

 学校に来なくなってから、松原さんは毎週金曜日に、彼女の自宅にプリントや提出物を届けることにした。

 呼び鈴を鳴らして顔を合わせると、プレッシャーを与えてしまうかもしれない。

 そう考えて、資料と一緒に手紙をポスティングするだけにした。

 だが、ゆきのさんが登校することはなかった。

 彼女が3年生になり、担任を外れてからしばらく経ったころのことだ。

 「ゆきのちゃん、退学しました」

 担任から告げられ、自分の無力さを感じた。

 自分にできることは少ししかなかったが、その少しをちゃんとやれただろうか、と後悔した。

 

■思いがけない場所で再会

 ゆきのさんの退学から4年後

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